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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 朝 : [あさ, ちょう] (n-adv,n-t) morning
ハーディー(764年 - 786年9月14日)は、アッバース朝の第4代カリフ(在位: 785年 - 786年)。 == 生涯 == 父は第3代カリフのマフディー。母は南アラビアのイエメン出身の元女奴隷・ハイズラーン。名はムーサーともいわれる。 785年に父が死去したため、後を継いだ時は21歳であり、その治世は2年と続かなかった。彼は強情頑迷にして冷酷な人間であったが、同時に勇敢で精力に富み、文学を好んだという。権力を分担させることを嫌い、同母弟のハールーン・アッ=ラシードを斥け、亡父の遺言に逆らい常に次期継承者をハールーンではなく自分の子のジャーファルに改めようと策動した。夫の死後も国事に勢力をふるおうとしていた母のハイズラーンとの間も不和であり、ハーディーの死の直前にようやく和解が成り立ったくらいだった。彼自身の遺言により、ハールーンがカリフ位を継いだ。残された子は男子7名、女子2名あって、娘の一人ウム・イーサは後にハールーンの子マアムーンと結婚した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハーディー (アッバース朝カリフ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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